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今シーズン最大ツリーランディングのお話 by栗島信之

 その時、彼女は尾根線の谷間深くで足下8mもの所にぶら下がっていました。

Iさん…「あっ栗島さんっKさんが!。」
栗島…「えっ何、何処!何処にいるの。引っ掛かったの。」
Iさん…「東の尾根の途中で引っ掛かっちゃいました。」
栗島…「えっ何でそんなところに!Kさーん、Kさーん無線とれますかー。怪我はないですかー。」
Kさん…「はーい大丈夫です。でも木に引っ掛かってまーす。」
栗島…「どの位の高さの木ですか。足は地面に着いていますか。」
Kさん…「結構高い木です。足は地面についていません。」

 少し前まで彼女はなんの問題もなく尾根の上をフライトしていたはずでした。いったい彼女に何が起こったのでしょう?。

チャプター1 … 経緯(いきさつ)
 その日は弱い寒気のために少し荒れ気味のコンディションでした。Kさんは久しぶりの高々度フライトということもあって、少し緊張していましたが、なんとか安全にテイクオフしすることが出来ました。空中に出た彼女にランディングから尾根沿いのルートを取るようにとの指示がはいりました。尾根沿いに飛んでいるといくつかのリフトに当たり、いつもよりもだいぶ高度が高くなっていることに気づきました。そこにランディングから次の指示が入りました。「Kさん高度があるから一度テイクオフの方に戻ってみよう。」Kさんは、「はーい分かりましたー」と元気良くコントロールを引き、左旋回でテイクオフに向って飛びはじめました。
 一方その頃、ランディングでは、シンクにはまって届かなくなりそうな人や、荒れ気味のランディングでの同時進入などが相継いで発生していました。「何であなたはそんなところに!あなたは右!あなたは左!うきゃー!うきゃー!」てんてこ舞いしながらランディングの栗島はあっちらへこちらへと指示を飛ばしていました。そんな状態の栗島からKさんにまた次の指示が入ってきました。「とりあえずKさんは北に向かって飛んでいて。」ぶっきらぼうに言い放たれた指示にKさんはあっちは大変そうだなと思いつつ、「はいはい北ですね。解りましたー」とそのまま飛び続けました。そうです旋回せずに!テイクオフ方向に向かったまま飛び続けてしまったのです。そうです!どうやら彼女の中で北と南はすっかり逆転された状態で記憶されていたのです。
 数分後、何とかランディング付近の混乱を乗り切った栗島はエリア全体へと目を移しました。そして尾根の前方付近を見ながら「あれっKさんはこの辺を飛んでいるはずだよねー。そんなに遠くまではいってないはず。」そんな時に入ってきたのが冒頭のIさんからの無線でした。
 あの後、方角を勘違いしたままのKさんは「何か変だなー、木が近いなー。」と思いつつも「でも何も言われないしなーどうなのかなー。」と北という名の南にズンズンと進んでいたのでした。そしてそのまま高度が無くなり谷間の斜面にツリーランディングしてしまったのでした。
 すみませんでした。指示の意味をしっかりと説明せずに、旋回の確認もしなかった栗島が悪いんです。でもでも!。
 いやっいやいやっ、「物事を伝える」という事と、「物事を理解してもらう」という事は全く違うということ。そしてその難しさと大切さを改めて教えて頂きました。

チャプター2 … 発見
 幸い本人にけがは無く、落下の危険性もなさそうでした。「出きる限り早く駆けつけるから暫く待っていてください。」とKさんに伝えると我々は回収の準備にかかりました。
 まずフライト中の生徒さんを大至急降ろし(これがなかなか降ろせず少しタイムロス。)ながら上空の人からKさんのいる付近の情報を集めました。場所にだいたいのあたりをつけていくと、彼女のいた所は東尾根の西側斜面の途中、かなり谷の中でした。
 次に現場へとアタックするためのルートを決めなくてはなりませんでした。我々はまずバス停まで車で上がり、そこから徒歩で尾根沿いを2〜300m程下りました。そしてそこからは西側の急斜面を下らなければなりませんでした。我々は道なき急斜面をえんえんと降りていったのです。(この時に役立ったのがGPSでした。気の利いた伊東さんが現場上空でポイントを打ってくれていたのです。)しかし予想以上に急な斜面と深く高い杉に阻まれ、樹上の彼女を発見出来たのは彼女がツリーランディングしてから1時間半ほど経ってからでした。
  栗島 …「Kさんお待たせしました。大丈夫でしたか。」
  Kさん…「はーい何とか。」

エピローグ
 Kさんの声は少し力無く聞こえました。それもそのはず、これだけ長い時間木の上にぶら下がっていたのですから、きっと彼女は心身共にかなり衰弱しているはずです。我々は「もう少しだからがんばって。」と彼女を励ましながら、出きる限り速やかに樹上から彼女を降ろそうと賢明になりました。Kさんが吊されていたのはかなり高く太い木でしたが、登るのは1本で済んだため思ったよりもスムーズに救出は進みました。そしてもう少しで彼女の足が地上に着きそうになったときです。栗島の脳裏にかつての大ツリーランディング回収時の事が浮かびました。
 「あのとき救出されたFさんは地上に降りた途端に極度の緊張から解放されたため、その場に倒れ込んでしまったのだった。」
 それを思い出した栗島は「大丈夫でしたか?自分で歩けますか?Iさん支えてあげて!。」と木の上から声をかけました。Iさんも「Kさん大丈夫。」駆け寄りました。
 そして地上へと生還したKさんは答えました。「だいじょうぶでーす。普通に歩けます。」さも意外な事を言う人だという感じでスタスタと歩きながら答えました。いやっ本人も皆に心配かけまいと気丈に振る舞って見せたのでしょう。
 しかし、「ありがとうございました。ご心配かけて済みませんでした。」と元気に礼を述べる彼女を見ながら栗島は思ってしまいました。女性って強いなー。
 あれっこれはセクハラ発言になるのかな?。 何にせよ、けががなくてほんと良かったです。

 2泊3日平日ツアー by小松潤
10月14日〜16日の3日間でツアーに出掛けました。昨年もこの時期にツアーを企画しましたが、飛べる所へどんどん移動した結果、鳥取まで足を伸ばした大移動ツアーとなりました。さてさて今回はいかがなものでしょうか?

初日
今回のツアー参加者は桐木さん、大井さん、伊東さん、石塚さんの4名。目的地は愛知県渥美半島の伊良湖にある高塚エリアです。集合場所はクラブハウス。前日13日の夜にクラブハウスで仮眠をとってもらい、14日は朝4時出発。3時半にみんな起床して、荷物の積み込み。4時少し前に出発できました。最初の休憩場所は岐阜県の恵那峡サービスエリア。目標到着時刻は7時半です。長野インターから高速に乗り、走れど走れど長野県。1時間経ってもやっと松本。やっぱり長野はデカイ。しかし恵那峡に着いたのは、ほぼ予定どおりの7時10分。このまま行ければ9時には到着。予定どおりの工程に大満足。なぜなら、この日の現地の天気予報は午前中晴れ、午後の降水確率は50%。飛べるとしたら午前中。どうしても午前中に到着したかったのです。小牧ジャンクションから名神高速を名古屋方面へ。ここまではやや曇り。名古屋に入りここから東名高速。すると東名高速は集中工事。1車線規制でノロノロ運転。やられた、完全にやられました。さらに追い討ちをかけるように雨。その雨も近づくほどに強まります。もう雨でもいい。この時点でこの日の予定はフライトから食べ歩きツアーに変更。とにかく到着を目指します。

やっとの思いで到着したのは11時。エリア管理者のエアワークさんに顔を出して、エリア見学と伊良湖岬に向けて出発。まずは岬の先端を目指しました。海沿いの道を走っていくと、あちらこちらに僕が食べられない物のひとつメロンの文字が…。自分が嫌いでもこれは仕事。そのうちの1軒によってみることにしました。入って早々お店のおばちゃんが味見を強要。みんなは美味しそうに、僕は無理やり頂きました。みんなが生搾りメロンジュースを飲むのを見ているだけでも段々と体が痒くなりすぐに退散。そこから20分ほどで岬の浜辺に着きました。雨の降る中、砂浜に行き、とりあえず海を見てから駐車場横のお店へ。入り口には「大アサリ」や「御造り」「生かき」などの魅力的な文字が並びます。中に入り、みんな早起きの疲れと、飛べない鬱憤を晴らすかの様な爆食い。そして昼からビール。2時間近くこの宴は続きました。食べつくし飲みつくして大満足の中、今度はエリアを見学に出発です。40分ほど走り、エリアに到着した時には雨も本降り。びしょ濡れになりながらテイクオフ、ランディングを見学しました。エリアは海の目の前。見れば見るほど飛びたくなるエリアです。この後、お風呂に行きました。この間色々なところに連絡を取り、翌日は和歌山に移動することが決定しました。この日の晩はエアワークさんの事務所に泊めてもらい夜の宴。これで後2日飛べなければ本当の食べ歩きツアーになってしまいます。

2日目
朝になってみると、前日の雨が嘘のような晴天。しかし、風は強風。一路和歌山のUPネストに向かうことになりました。8時に出発してコンビニで朝食を取り集中工事中の東名高速へ。名古屋に着いたときにはもうすでにお昼。和歌山に着いたのは3時少し前。本当に今年も移動ばかりになってしまいました。でも、こんな時間に着いても飛べてしますのがこのエリアの凄い所。僕と桐木さんが1本。3人は2本も飛ばせて頂きました。このエリア初めての石塚さんと2回目の大井さんは凄く緊張してクロスを止め忘れるは、ガチガチの状態でしたが無難にフライト。やっとこれでフライトツアーらしくなってきました。飛べてしまえば、もう安心。和歌山の片山さん行きつけの銭湯に入り、さっぱりしたところで、この日も宴です。本当に毎日食べてばっかり。

3日目
この日は朝からやや荒れそうな条件。朝食と帰り支度を済ませて、テイクオフに向かいます。1本目からなかなかの好条件。1番にテイクオフした大井さんが200程度上げたところで地元の皆さんがどんどんと飛び立っていきます。これを追いかけて伊東さん、石塚さんもテイクオフしましたが、ここで1度条件が萎えてきます。30分後にまた良さそうな条件になりました。ここで参加者の皆さんには今日は良くなったりと待ったりの繰り返しになる予想と伝えました。つまり長く飛びたければ、いい条件の時になるべく高くキープして、条件が悪くなってきたら無理をせず回復を待つしかないのです。2回目の条件で4人ともフライト。また条件が悪くなってくると、地元の方も残れない人が大半。その中、桐木さんが唯一次の3回戦に残りました。これには地元の皆さんも驚き。「桐木さんやったね」と僕が無線を入れると桐木さんから「足が痛くなって来たので下ります」との返事。この瞬間、僕の後ろから地元の皆さんが「もったいねぇ〜」の大合唱。

そんなこんなのフライトを終えて2時半に和歌山を出発。今度は道も順調に流れて名古屋付近に着いたのは5時少し前。僕の「こんなに早いなら名古屋名物でも食って帰るか」と言う冗談から、名古屋で降りて味噌煮込みうどんを食べることになりました。名古屋の街中を抜け、味噌煮込みうどんを食べ終わったときには7時40分再び高速に戻り、長野で降りた時には11時を少し回ったところでした。

今年も大移動になってしまった。ツアーの移動距離は1400キロ。来年もこの時期に大移動食べ歩きちょこっとパラツアーを企画したいと思っています。皆さんも是非参加してください。

ジオスポーツと宇宙開発?

ジオスポーツはある意味凄い?なにが凄いと言うと、あらゆる分野において先端を走っている。時には余りに先端過ぎて人々に理解されなり事もあります(笑)。現在、ジオスポーツでは、都立航空高専が行っているプロジェクトをサポート中だ。プロジェクトは壮大なもので、小型人工衛星を上げ、その後地球に自動的に帰還するというシステム開発である。勿論、システム自体が超小型で何と350mlの飲料水缶の中に全ての機材が積み込まれる。このプロジェクトは“カンサット”と呼ばれ、缶で出来た衛星と言う意味である。

カンサットとは、基本的に小型のパラシュートをGPSにより制御し、目的地点に戻る精度を競うものと考えて頂ければ良いで有ろう。しかし、かなり複雑な目的を持ち、フライト中のデータは、常に地上に送られ、データ転送され後に3Dでグラフ化される。勿論、GPS以外の無線誘導さえ装備されるものもあるのだ。
パラグライダーをしている皆さんは分かると思いますが目的地点まで自動で戻れるということは、どれだけ複雑な操作を必要とするか、勿論、風向、風速といった要素を踏まえてです。

元を正せば3年ほど前、とある機関から人工衛星打ち上げに際し、もし失敗したとき地上まで無傷に戻せないだろうか?と言うまたもや壮大な計画をも持ちかけられた事がきっかけでした。この“プロジェクトX”並みの質問に….出来るはずが無い….と思った…(田口トモヲ)。しかし、資金という壁に阻まれ、結果的にキャンセルと成った。その後、複数の大学に対し学生が参加出来る“ロボットコンテスト”と“鳥人間”を合わせた様なイベントに出来ないかと言うことになった。
しかし、カンサット自体は2年連続でアメリカネバダ州で小型ロケットに積み込まれ、各大学が持ち寄った実験機によりテストが繰り返された。 当時、私は日大チームと東大チームのアドバイザーをしていた為、随時情報は入ってきた。アリゾナ州立大学では、打ち上げに必要な小型(4m程度)でカンサットを乗せて飛べる物を開発した。このプロジェクト自体は、本当に壮大で小型ロケットと、この自動回収システムを組み合わせ、低価格で小型人工衛星を打ち上げる事だ。今後通信分野等の発達を考えれば、想像がつくかも知れない。又無重力状態で試験をし、自動的に帰還出来れば、その用途の広がりは多い。そして、もし小規模人工衛星会社(想像するに菅平の裏庭で人工衛星をあげる)が出来たら、さぞかし私たちの生活は変わるであろう。勿論子供に小型発信機を持たせたり、山の遭難時確実な位置を計測出来る安価なシステムが出来るかもしれない(浮気現場もばれるかもしれない)。

いずれにせよ、まだ誰も開発したことの無い物を創ったり、そして夢の実現に向け研究するほど楽しい事は無い。幸運にも都立高専はショップから15分程度で到着する。今まで数回の実験を学生や先生としたのだが、毎回新しい発見や驚きに満ちた経験が出来る。プロジェクト参加生徒は真剣に話を聞いてくれる。
現在は11月末に行われるコンテスト(6大学10チーム程度)に対し高専チームは初参加ながら健闘することが出来るだろう。私は密かに初参加、初優勝を狙える様、勢力を傾けたい。

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ  ハム太郎も同時上映!?  by中台章

皆さんは東宝映画のゴジラを見たことが有りますか?ゴジラは1954年から撮影が始まり来年度で丁度50周年となります。この間27作品が製作されました。最初の作品、1954年当時は朝鮮戦争も終り日本は戦後の復興から立ち直り景気の回復を果たし、日本は“映画”と言う娯楽を本当の意味で謳歌した時代だと言えるでしょう。

ゴジラと言うネーミングは“クジラ”と“ゴリラ”を組み合わせたもので水爆実験により出現したとされる架空の、モンスターです。突然襲いかかるゴジラの出現は正に日本人の“台風”地震“と言った自然界の天災を意味する物なのでしょう。
そして、その作品ごとにテーマを持ち戦争や環境までを題材とした作品も多く存在します。ある意味世相を反映した作品と言えるでしょう。勿論、私自身もそのモンスターの虜になり当時(1960年代)は娯楽の少なさも手伝いゴジラを見るため近くの映画館に列をつくりました。

そして、その後映画に興味を持ち小学生の頃は8mmフィルムで作品?を作りました。
その後も多くの映画を見て感銘を受けた映画は数知れず。私自身にとっても、どの時代に何処に住んでいてそして、誰と見たのかは記憶中で常にリンクするキーワードの役割を果たしていると言えます。
その後、仕事をする上で映像の仕事に関わる様になり少しずつ自分が以前から好きであった世界を垣間見れるようになった。そして、1999年電話が事務所にかかって来たことから話は始まった。

それは東宝映画製作部から“ゴジラ”の製作に当り作品内で使用する小道具を製作する事であり、そして撮影の一部を担当させて頂くというストーリーだ。勿論二つ返事でOKを出した。映画好きの私にとって純国産映画であり、子供の頃からのあの“ゴジラ”製作に携わる事はある意味“夢”であり、プロとしてそれを依頼される事は“誇り”でもあると感じた。
2000年度お正月映画“ゴジラ体メガギラス”は監督“手塚昌明”氏はゴジラの監督に成りたいが為、東宝に入社した経歴を持つ“ゴジラ”ファンだ。私は戦闘機内の安全ベルトのデザイン及び製作を担当した。製作はオーストリア・プロデザイン社で行った。撮影シーンはパラシュートが開きプールに落ちるシーン。ちなみに劇場用では数秒間のカットだけです。しかし、撮影には丸1日費やした。そして2002年度“ゴジラ対メカゴジラで再び手塚監督がメガホンを取る事になり又もや以前のスタッフが集合する。勿論パラシュート部分の出番が増えた。

そして、この夏3度目の要請があった。またもや手塚氏が監督だ。監督は常に自作品には基本的に以前のスタッフを呼ぶ。つまり東宝映画の号令で監督が必要な人材を集めるのである。驚いた事に、私もリストに入っていたのだ。監督は以前よりパラシュートに関しての知識を学んだため!?私の担当する箇所は増えたのだ。そして、必要な機材や部品の調達をし、私の担当する場面の用意をする。毎回ながらこの準備期間はある意味“面白い”。なぜなら、撮影現場で他のスタッフに迷惑が掛からぬよう可能な限り準備を進める、そして、この考える時間が私に取っては最大の楽しみなのである。勿論用意周到に準備した機材は全て現場で機能した。

私の担当する現場が終わった次の日、光栄にも完成打ち上げ会に招待された。これは3作品で初めてあった。ここで出演者、裏方を含め総勢200人ものスタッフが集まり原宿の中華料理屋へ大集合!主演の“吉岡美穂”さんをはじめ“中尾彬”さんも2時間以上に及ぶパーティーに最後まで参加しビンゴ大会で盛り上がった。その後は完成したばかりのPR用の宣伝用予告編を200人の前で披露された。その時の盛り上がりは大変なものだった。今、目の前で自分たちが携わった作品が完成したと言う喜びに、そして自分たちの努力が形に成ったことがその時大きな歓声となったのだ。

ジオスポーツはその3作品のエンドロールにもちろん登場している。エンドロールとはその作品が終わりひと時の夢を味わった後の大切な部分であると私は考えている。作品の出来が良ければ良いほどその作品がどの様な人々により製作されたのが気になり場合によってはそのスタッフに盛大な拍手を送りたいからである。
もしお時間が許せるなら是非本年度の東宝映画“ゴジラ×モスラ×メカゴジラ”をご覧ください!そしてエンドロールを確認下さい。そこにはジオスポーツの社名が…・。