2002年オーストリアツアー報告

                             桐木 喜章

昨年、このツアーに初参加した。成田に到着した時から来年の参加を決め、自分自身環境の劇的変化(只今無職)にも屈することなく、この日が来るのを待っていた。今回、参加人数は少なかったものの、迎えてくれたオーストリアは去年と変わらず我々に雄大な山と空、そして優香以上の癒しを授けてくれたのであった。ちなみに木村佳乃には達していない。 
6月22日>
 一年ぶりに永野氏とジオで再会。パラは去年のツアー以来とのこと。成田で菊池氏と合流し、いざインスブルックへ! アムステルダムでアルプスエアーにトランジット。
何ともチロルに行くにふさわしい航空会社ではないか。それも去年と同じプロペラ機。夕闇迫る中、アルプスの谷間を我が機体は低空で入っていく。すぐ横に切り立った岩山。本当にこのルートは面白い。大型ジェットには無い揺れ、のっぽサンなら届いてしまう岩肌。これが空の楽しみなのだろう。かのライト兄弟が夢見た世界を想像し、目頭が熱くなる。インスブルック着。日本人がほっとしてしまう背丈のプロデザイン社長が笑顔で迎えてくれた。
今日はインスブルックのお祭りだとか。花火を見に中心街へ行く。隅田川花火大会よりは劣るがそのことを、社長には告げず笑顔で別れる。ホテルへ到着。誰もいない。中台氏の気転によりかってに鍵を取り、部屋にはいる。なんとオープンなホテルなのであろうか。さすがインスブルックである。 
6月23日>
 朝、いつもの朝食。あれ、スクランブルエッグとカリカリベーコンが無い。ちょっとさびしかったが、笑顔で朝食。10:30初飛び恒例のノイシュティフトへ。プロデザイン社よりターゲット40を借り初飛び。ぶっ飛びだったが一年ぶりのチロルの風は私に優しかった。二本目に備え、ランディング横のソーセージ屋で去年からのお気に入り、カレー味のソーセージをほおばる。もちろん、麦汁が添えられたことは言うまでも無い。二本目は16:30テイクオフ。風もやや強まり、雲も厚くなってきた。案の定、全員がランディングした直後、雨が降り出し雷も鳴り出す。
6月24日>
 雨である。やっとプールとサウナに入れる。去年は飛びに飛び続け、入る機会が無かった。午前は街をぶらぶらし、いよいよ三越の店員さんと選びに選びぬいた、Kappaの水着に足を通す。そしてサウナ。水着で入っても良いのだが、やはりサウナは裸が一番。すっぽんぽんの開放感。産まれたときを思い出す。そしてテラスでビール。なんとゆう至福の時。こうして感動の一日が終わる。 
6月25日>
 朝から厚い雲に覆われる。午前はショッピングセンターに行く。私以外の人々は携帯電話を購入。永野氏は早速、日本へ電話をする。なんとほほえましい光景であろう。これからとゆうもの、携帯電話はかれらのいい
おもちゃとなり、孤独感を癒すいいアイテムとなった。さて午後、ワールドカップドイツー韓国戦をホテルで観戦し、雲の上がったノイシュティフトへ向かう。今回は、購入予定のイフェクト34と同型機を借り、ローリング、スパイラル、翼端折りなどを試す。早く、自分の翼となり思い通りのフライトをしたいものである。 
6月26日>
 晴れ。今日はチラタールに行く。ホテルから高速を飛ばし一時間半。マイヤーホッフェンに到着する。とにかく景色がすばらしく、また高低差も1300mありとにかく雄大である。テイクオフは大変広く、まったくプレッシャーは無い。トレッキングのギャラリーが多く、笑顔を絶やすことは許されない。そんな中一本目のフライト。
今回はイフェクト36を借りた。44歳になり、幸福ぶとりと思われるが総重量93,4kgとなり、イフェクトも34か36にするか迷っていた。やはり34よりもスピード感が少し落ちた気もするが、今後の幸福度を考えるとやせることは考えられず、36にしても良いかなと思われる。ランディング後、横のホテルでビールを飲みながら、トルコーブラジル戦の前半まで観戦。いそいで、ノイシュティフトへ向かう。
着いたときは、絶好調の条件。急いでテイクオフへ。今年の目標は、妙義山のような後ろの岩場までだったが、何回トライしても今の私の実力では届かず、あえなく90分のフライトでランディングへ。強行軍ではあったが、満足の一日だった。
 
6月27日>
 今日も、マイヤーホッフェンへ。
天気はよかったが、思ったほどのサーマルは出ておらず、1300mの高低差を利用し、あっちこっちぶらぶらしてランディングへ。ここのランディングはとにかく広い。プレッシャーがあるとすれば、となりの変電所だが近寄らなければよい。ところが、この時
無線から悪魔の声が。「山をバックに撮影していますので、変電所側からアプローチして下さい」 “ヒェー”ホテルで昼食後、再びノイシュティフトへ。テイクオフで40分ほど待つが、良くなりそうにもならないのでテイクオフ。私の必殺技、安定滑空直線飛行によりランディング。
6月28日>        
 雨です。緊急会議の末、来年にそなえ(すでに3人とも来年参加予定)新しいエリアの発掘に出かけることにする。スチューバイタールからインスブルックをはさんだ隣の谷、オッツタールへと向かう。いきなり、谷が狭くなり両側の山が迫ってきた。
「こんなところで飛べるの」みんなの不安をよそに案内所でエリアがあることを確認しかし、それにしても谷は深いは、平地が少ないは、もしあったとしてもあまり来たくないところであることを全員で確認する。さて気づいてみると、イタリア国境まであとわずかとなっている。これは行くしかない。                 
これが大変なことになるとは、だれもこの時点では気づいていない。ここから走れど、走れど、登りカーブの連続。なんと2500mの峠を2つ越えてしまった。中台氏曰く「一年分のシフトチェンジをした。」お疲れさまでした。そのかいあって、イタリア側に入ったとたん、すばらしい景色が出迎えた。ホテルに帰るまで、ひたすらドライバーマシンと化した中台氏。夕食時、なぜか言葉少なくなってしまった彼に、言葉をかける者はだれもいなかった。
6月29日>
 フライト最終日。ついにこの日が来てしまった。しかし神は我々を見放さなかった。晴れである。今日はシュリック2000からのフライトである。去年、テイクオフの景色に大感激したことを思い出す。一本目は軽くお得意のぶっ飛び。二本目はノイシュティフトまでのミニクロカンだ。上に上がると下から雲がもくもく上がってくる雲の切れ間をねらってテイクオフ。まっすぐ、ノイシュティフトに向かう。
テイクオフ下に取り付け、リッジを使って、徐々に高度を回復。やっとトップアウトまできた。先に来ていた、菊地氏とシンクロしてランディング。
降りると、永野氏がテイクオフに向かっていた。ここまで、割とおとなしくしていた彼に火がついたのか?
やっぱり、やってくれた。彼は苦しんでいる他機をあざ笑うかのように、はるか上空2800mを獲得し、ヨーロッパ橋に向かって走っていた。誰もついていけない。この時、イフェクトを購入したことが間違いがなかったことを確信した。長いフライトを終え帰ってきた彼の顔には、葬儀委員長を無事終えた時のような安堵感と、満足感であふれていた。

 

明日はわが身とよくゆうが、来年のわたしは3000mの上空をヨーロッパ橋に向かって走っているかもしれない。恐ろしい。でもまた来年も来よう。どんな困難が前に立ちふさがっていても、すでに空への扉は開いてしまったのだから。 
                             プラトンより